執筆講演

執筆講演 - 建築コラム

水を楽しむ・河川調査

下記は2001年5月、春日部高等学校ビジネス研究会の河川調査に参加してのレポートである。両河川を起点から下流(埼玉・東京の都県境)まで調査体験したことをもとに、思うところを述べるものである。

「さきたまの川のながれを訪ね来て 友らとともにかたりゆくらむ
あたらしきまちをつくらんさきたまに かわのふもとの花らとともに」

綾瀬川・中川は日本の汚い河川のワースト2〜6に入っている河川だが、なかなか風情のあるところもあったではないか。起点には全くがっかりしたが!

現地調査をもとに、今後の両河川の活用法について述べる。

埼玉県東部地区の人たち(もちろん他の人たちも含めて)には基本的にこの二本の河川を中心にして、人々に川に親しみ、川に楽しんでもらう。川を中心としたまちづくりにまで広げようという構想である。もちろんそのためには河川浄化が必須条件であることは言うまでもない。それぞれの場所において、いろいろな手段、方法を使ってトータル的にきれいな川を再生させる必要がある。汚い川は魅力的とはいえないから!

人間は古(いにしえ)より川と共に生活してきたが、その原点に立ち返り、見つめなおそうというのが私の主張である。もちろん洪水に苦しめられ多くの被害をもたらす日本の河川は治水とともに歩んできたし、回避するのが必要不可欠なのは当然である。現在、その方法をめぐって脱ダム宣言の長野県など、議論には事欠かないが、100年いや300年500年先の将来をも見据えた見直しをしてみようではないか!

両河川は、長さ40〜50Km程度の川なので、そのすべての場所をそれぞれ既存の遺跡・名所・施設・特色などを考慮してテーマをつくって整備しようではないか!

なお河川を取り巻く法律などは全く考慮に入れていないのでその方面からの研究も必要となるし新たな法整備も必要となろう。地方自治体のみでなく民間企業、個人の参加など多くの人々の参加が不可欠で、有効な補助金などの活用も期待される。

綾瀬川付近写真
綾瀬川起点

1. 起点の整備

両河川とも、皆が想像している、山々から発する清流イメージは全くなかった。源流といわず起点というのもそのためなのか?自然を造ることは出来ないが、田園地帯の中にある築山と湧き水と岩石、玉砂利などによる演出により素朴な、自然に近いつくりかたによって、子供の川遊び、メダカすくいなどの出きるスペースをつくる。飲料可の水を供給。用水路からの流入は暗きょ等でバイパスをとって流すなどの方法をとることは可能である。綾瀬川の起点はサッカー場があるのでそれも取り込んでかなり広い整備が出来る。中川については起点の移動により(笑)もう少し広いスペースのあるところで自然の演出を行う。


2. 河の駅(河川へのアクセスポイント)の新設

4〜5Kmおきに、主要幹線道路との境、10ヶ所を新設(道の駅と同じではないが)しようではないか。駐車場、トイレ、休憩所(茶屋)等の整備はもちろん、路上駐車スペースをも可とし、横断するサイクリングロード、歩行者専用道路なども整備する。


3. サイクリングロードと散策路の整備

起点から河口まですべてを徒歩及び自転車(貸し自転車用意・駅ごとに)で往来出来るようにする。河の駅以外にもそれぞれ近接する既存の施設等も取り込むように整備する。


中川杉戸付近写真
中川杉戸付近

4. 文化的場所の発掘

所々で絵を描いている人に出会ったが、写生に適する風景のよい場所の再発掘や整備、和歌・俳句ロードの新設など、テーマごとの野外教室の開催なども行う場所をも創造しようではないか。


5. イベントスペースの新設

花見(桜並木・その他四季折々/場所によりテーマを決めて)、花火会の出来る場所?を造ろうではないか。


綾瀬川蓮田付近写真
綾瀬川蓮田付近

6. 歴史的場所(堰/建造物等)の再現・紹介

いくつかありましたよね!歴史的説明など積極的に行い、もっと残したいですね。


7. 魚釣りの出きる場所の確保

たくさんいましたね。釣り人が。さらなる整備、釣り堀なども新設しようではないか。


8. 水上バスなどの運行

河の駅ごとに運行、いや下流の方しか無理かも?ボート遊びの出きる池の新設、屋形船・サンセットクルーズも行う。


中川三郷付近写真
中川三郷付近

9. リバーフロントの有効活用

リバーサイドニュータウンの開発、クアハウス施設の新設、既存施設(レストランなどもありましたね)との連携なども可能では。


以上、列記してみれば他にもいろいろあるであろうが、河川とのより一層のつきあい方を見直し「河川中心のまちづくり」を皆で考えてみようではないか。

もっとも重要なことは、自然に逆らわない、環境、再生を考慮した手法ですすめることである。今回、一日あるいてわかったことは部分的に美しいところがまだまだあったということである。これからの河川に人工的なものは似合わない。

治水から親水へそして楽水へ。「水を楽しみ人と楽しむ」